生きづらいあさひの、発達凹凸兄妹♡幸せ探しの工夫♡ブログ♡

発達に凹凸ありの2児を育てながら精神科で働くあさひが、子どもの気持ちを考えながら楽しく育児をする奮闘日記

【支援を受けられるとは?】私が発達障害に対して、抵抗がない理由

こんにちは。

 

今日も、晴れていますね。

 

私は、娘をデイサービスにおくり、

 

家でゆっくりしています。

 

ちょっと外を歩いただけなのに、汗をかきました。

 

暑いですね~。

 

でも、日に当たったほうが

 

セロトニンという幸せホルモンが放出されるのかな?

 

と変な期待をして

 

外を歩いてきました。(笑)

 

 

 

さて、今日は、

 

私が考える

 

発達障害の子への支援が必要な理由

 

を考えてみたいと思います。

 

 

 

一般的には、発達障害と診断されることは抵抗があると言えるでしょう。

 

まず、ネーミングが悪いと思いませんか?

 

自分のこどもを、敢えて

 

障碍者にしたい親なんていないと思います。

 

それに、

 

「私の思い過ごしではないか・・・」

 

「少しずつ、できることも増えてくるのではないか・・・」

 

「しつけをしたら、甘えもなくなり

 

集団生活に馴染んでくるのではないか」

 

 

 

そんな、期待と不安な気持ちのまま、

 

一日、一日が過ぎていき、

 

いつの間にか、何の支援も受けられずに過ごしていた。

 

という方も多いと思います。

 

それで、親の目に見えた

トラブルがなければ、親は気づかずに過ごすでしょう。

 

でも、もし、子どもが無理をしていて

 

失敗体験を、他のお子さんよりおおくされていたら・・・

 

それは、本当に子どもにとって良いことなのでしょうか??

 

 

私は発達障害は恥ずかしいことではないと考えています。

 

なぜなら、私自身が、生きづらさを経験しているからです。

 

 

 

 

 

 

 

 

私の小学生時代

実は、私には良い思い出があまりありません、

 

だから、学校が嫌いという

 

子どもの気持ちはなんとなく理解できるのです。

 

 

学校が嫌いだった理由

 

  • 勉強(とくに算数)ができない

特別に勉強ができないなどあれば配慮が必要です

 

 

 

 

私は、字を書いたり、絵をかいたり、歌を歌うことは得意です。

 

板書も大好き。先生の話を聞くのも大好きです。

 

ですが、算数がどうしても、苦手。

 

先生が「みんな一度立ちましょう。

 

わかったら座っていきましょう」と言い、

 

児童の理解度を毎回確認するのですが、

 

私はわからず、ずっと立ちっぱなしでした。

 

苦痛以外なにものでもなかったです。

 

  • 両親が、比較的子どもに無関心(笑)

私の両親は優しいです。

 

私が生まれるまでは高知県に住んでいて、

 

仕事を求めて関西に出てきました。

 

とくに貧しいわけではなかったのですが、

 

父親が無駄なものにはお金と使わない主義

 

だったので、家はボロボロ。

買ってくれる自転車は、中古品の大人用。

 

子どもの服は、どこからかもらった古着でした。

 

なので、かわいい服なんて着た事がなかったです。

 

いつも、自分はみすぼらしいと思っていました。

集合写真は、今でも見るのが嫌なのですが、

 

一人変な服の上下を着ています(笑)

 

  • いじめられた

かわいい服なんて着ていない、いつも髪がボサボサの私でしたが、

 

楽しいことは大好きでした。

ある日、低学年の時に、お兄ちゃん。お姉ちゃん(上級生)と

 

手をつないで入場してくるという場面があったのですが、

上級生たちは、私と手をつなぐことを拒みました。

 

先生の見えない場所で。

 

「えーいやだぁ(笑)」

 

「その子と変わってよー」

 

「いっこずつ、ずれてよ~(前の子に対して)」

 

ひそひそ悪口を言われて、

 

私は手をつないでもらえなかったのです。

 

私はたまらず、自分が嫌われているという事実に対して、

 

悲しく泣いてしまいました。

 

すると、担任の先生が

 

「なに泣いてんの!!みんなが楽しいときに!!」

 

と私を叱り始めたのです。

とてもつらかった・・・。

 

こんな、しょうもない事ですが、30年程鮮明に記憶されています。

 

 

    ●空気を読めない

私は、空気を読むのが苦手だったかもしれません。

 

みんなでふざけていたつもりが、

 

いつの間にか自分だけが最後まで残っていて、

 

私だけが怒られるということもありました。

そのような事から、私は高学年になっていくほどに、

 

からかわれたり、避けられたり、仲間外れにされました。

 

  • 感情の起伏が激しかった

家では、弟に意地悪をしていた記憶があります。

 

田舎から関西に出てきて、

 

子育てをしてくれた母親に対しての暴言は数知れません。

 

隣の席の男の子と喧嘩をして、

 

「帰れ!!」と言われたことに腹をたて、

 

相手を困らせてやろうと思い、

 

家に本当に帰ったことがあります(笑)

 

この時も、先生にはかなり叱られました。

 

こういったことが、私の中で

失敗体験となり、小学校時代は大変苦痛なことが多かったです。

本当につらかった。

 

 

 

 

生きづらさのある私が支援を受けられなかった結果

 

今思うと、私は、支援を受けたかったです。

 

いつも、何かに困っていましたが、

 

口にして、相談することができなかった

 

相談する機会がなかった・・・の方が正しいかもしれません。

 

もし、「大丈夫?」と見守ってくれる

 

支援の先生がいてくくれたら、

 

私は、できない算数の授業で、

 

ずっと立ちっぱなしになることもなく

 

「自分はできない子なんだ」

 

と目の当たりにすることもなかったかもしれません。

 

特別、いじめられましたが、

 

それに早く気づいてくれる

 

先生がいたら、「自分は何をやっても嫌われるんだ」

 

と思うこともなかったと思います。

 

そのような、私の経験は、

 

自己肯定感を低下させてしまい

 

結局は、大人になってからも

 

「自分は幸せになんてなれない」

 

という呪縛にとらわれてしまう結果になったのです。

 

ギャンブルをする男を好きになりましたが、

 

たぶん、そんなに好きではなかったんです。

 

 

付き合っている間も、

話し合いもできず、すぐ連絡が途切れるような元夫です。

 

でも、その男にしがみついてしまったのです。

 

「次に、好きになったり、好きになってくれる人なんて

 

現れないんじゃないか」

 

「自分の全部をみせたって、受け入れてくれる人

 

もういないんじゃないか」

 

と思っていましたから。

 

自己肯定感があまりに低くなりすぎてしまった・・・

 

私はそのように結論付けています。

 

 

 

 

まとめ

 

 

馴染めない、わからないなどに対しては、子どもは無力であると思うのです。

 

30年以上前の小学校の環境と違うことも多くあるとは思うのですが、

 

基本は変わっていないと思います。

 

一人でも、私の苦しさをフォローしてくれる先生がいてくれていたら。

 

いいよ、大丈夫だよと言ってくれる先生に出会えたなら。

 

私の生きづらさはここまで深刻にならなかったと思っています。

 

だからこそ、生きづらさを持つ子どもには、

 

その子どもに合った支援が必要であると考えるのです。

以前、淡路島で撮った写真。また行きたいな~



 

 

 

 

 

不登校になると、心配になり、学校へ行かせたくなります。

 

普通ができないと、普通ができるように

 

教えたくなります。

 

でも、それができない子もいるということを

 

頭の片隅に理解してもらえると

 

困って、行き場がなくなる子は

 

少なくなると思います。

 

発達障害の診断をとくにもらわなくてもいいのです。

 

ただ、親がこどもの一番の理解者になる

 

学校での支援が必要だと思ったら

 

担任の先生に相談する。

 

これだけで変わってくるのです。

 

 

もう一度、本来のお子さんが

 

どんな子なのか。

 

みつめなおしてみましょう。

 

そうすることで、

 

未来のお子さんの人生が変わってきます。

 

今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

</p

 

↑昨日ぽちっとお願いしたら、

どなたかしてくれたみたいで

ランキングにやっと入ることができました!

ありがとうございました!!